大刀洗町の不思議

僕と奥さんの日常


福岡県に三井郡大刀洗町という町があります。
とても不思議な町なので、みなさんに紹介したいと思います。

まず、町の名前がとてもおどろおどろしいです。太刀を洗うのですから。

由来としては、文和17年(1359) 懐良親王・菊池武光と少弐頼尚との筑後大保原での決戦(筑後川の戦い)ののち、傷ついた菊池武光が、刀についた血糊を川で洗ったとされるところが、筑後国太刀洗であるとされています。
やっぱり怖い感じがします。

そして、この場所は太平洋戦争時に東洋一の飛行場があった場所です。
大刀洗飛行場は、ライト兄弟の有人飛行が成功した1903年からたった16年後の1919年に完成しております。
また、特攻隊で有名な知覧は、大刀洗陸軍飛行学校の分校のひとつでした。 
大刀洗陸軍飛行学校は本校と呼ばれ、後に特攻隊員となった多くの飛行兵が教育を受けました。
大刀洗飛行場から直接出撃をした特攻隊もありました。 
最盛期には、太刀洗駅の乗降客は1日1~2万人もいたそうです。
これも、何か怖い感じがします。

このような軍都であった大刀洗町は、終戦間際の空襲に遭い、焼け野原となってしまいました。
しかし、何故か今村天主堂という立派なキリスト教の教会が現存しております。

今村天主堂

軟弱な地盤を克服する苦心の工事でありましたが、信徒の労働奉仕も受け、
1913年(大正2年)に竣工した赤煉瓦造りの天主堂(鉄川与助設計)は、国の重要文化財に指定されております。
このような立派な建物が空襲の標的にならなかったのも不思議な感じがします。

大刀洗町は様々な歴史の重なる場所であり、
今後も歴史の転換点となる可能性を秘めているなと思いました。