長めの雑談 *母の言葉*

奥さんのひとりごと


母親に、「うんこ食えと言われたら食うんか?」
と言われて育ったわたし‥。
この母親は、なかなかの強烈キャラ。
母親が小学生の時、親友がいじめに遭い不登校になったそう。
母はいじめっ子が恐かったけど、髪の毛を鷲掴みにして
引きずり回したと言っていた。
我が家は、母親が法律だった。
いじめに屈するのは、”負け犬の遠吠え”。
わたしは、中1の時にいじめに遭っていたのだけど、
怒られそうで母に話せなかった。
当時のわたしは、その集団に何一つ言い返すことができず、
いじめは段々とエスカレートしていく。
毎日、お風呂場で泣いていた。
家族から目が赤いと言われた時は、
シャンプーが目に入ったとごまかしていた。
そんなわたしでも、
“学校は絶対に休まない”
“学校では絶対に泣かない”
この二つは心に決めていた。
只々、母に怒られたくないからという理由なのだけど、
わたしは自分の考えだと思い込むようにしていたと思う。

登校すると、下駄箱に画びょう。
黒板や、ベランダに放り出された机に、死ね帰れ来るなの落書き。
ロッカーには、パンパンにゴミが詰められていた。
ゴミの中にはどこから持ってきたのか下着も入れられていた。
物は無くなるか、汚されるので、何も置いて帰れなくなった。
トイレに入れば、上から水を落としてくるし、
クラス中にわたしと話すなと言ってまわるから友達がいなくなった。

それでも、わたしは学校に通う理由を冷静に考えていた。
学校は遊び場ではない、勉強をするところ。
友達は必要ない。
落書きもゴミも水も、からかわれようが、文句を言われようが、
別に何てことはない。

わたしよ、 母親の方が段違いに恐いではないか。

そう、うちの母親は強烈だったので、
この程度なら耐えられたのも事実。
わたしは涙ひとつ浮かべず、平静を装うことができた。

学校にいる時間は、とにかく勉強に没頭していた。
所詮、逃げていただけの話なのだけど‥
落書きに、バカ、アホの文字が無かったのには、
何と言うか、少々笑えた。

わたしはくだらないことをされないように、
やつらよりも早く学校へ行くようにした。
それでも、放課後にされる落書きやゴミは、やりようがなかった。
そこで、わざと残すようにした。
もうわたしには羞恥心はない、という無言の抵抗をするため。
母のようになれないのは泣くほど悔しいけど、
わたしなりに試行錯誤していた。


結局のところわたしは、卒業するころは、
人間関係の全てをひっくり返していた。

あの頃、わたしは色々なことを学んだ。
人生の中で一番頭を使ったと思う。
教養は身につけられなかったけど‥。
いじめられていた時も、その後も、
母のように強くなりたいと思っていた。
それがわたしを一番支えていたと思う。

そんな若かりし頃の経験と共に、
わたしの中には常に、
“うんこ食えと言われたら食うんか”
という母の言葉がある。